大判例

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東京高等裁判所 昭和46年(ツ)34号 判決

上告人 広野ヨシイ

右訴訟代理人弁護士 中村洋二郎

同町三丁目九番一二号

被上告人 安部力男

右訴訟代理人弁護士 高橋三郎

同 伴昭彦

主文

原判決を破棄し、第一審判決を取消す。

被上告人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二、三審を通じ被上告人の負担とする。

理由

本件上告の理由は別紙のとおりである。

被上告人のした本件賃貸借契約解約申入れの正当事由の有無について、原判決が確定したところには、次のとおりである。

「一、被上告人側の事情

(一)  被上告人は新津市内で昭和二九年より自転車修理販売業を始めたが昭和三〇年四月より本件建物の筋向い道路を距てた本町三丁目九の一二訴外本間長作所有家屋の内表側階上階下の一部を五年の期間で賃借し、階上の八畳と六畳の二室は一家四人(妻と子供二人)の住居に使用し、階下の六坪二合五勺は営業の場所に使用していたが、店舗は比較的容積の大きい商品を扱うため狭隘で不自由をしていた。また居室はその広さにおいて堪え忍ぶとしても昭和三五年頃店舗の梁が折損し二階六畳の室が陥没したりして、これは修理したものの爾来完全に使用できなくなり単に子供達の勉強部屋に使う程度にとどめ、また八畳の間もそれ以来室内動作で振動を起すので自然その使用を差控え、家具の一部を他に預けおくような状態で居住にも支障が生じていた。

(二)  本間長作所有の右家屋は五〇数年前に古材を用いて建築したものであるため、家屋全体の骨組がゆるみ、壁が脱落するとか、土台がめり込むとか、梁が折れるなどの破損が生じたので、小修繕はその都度施されてきたものの元来が老朽の結果であるので、本間長作は国鉄を退職予定の昭和四二年前に徹底的に大修繕をすることを考えていたので、立退きを求められていた。

(三)  被上告人は右のとおり営業上もまた居住にも狭隘であること、殊に二階の床は動揺して危険であって十分に使用できないこと、本間長作より立退きを請求されていることなどの事情から、本件建物を自己の住居兼営業に使用するため、代金六〇万円で昭和三五年八月一二日買受けたものであるが、買受け前上告人に対し上告人において買取るかどうかを確かめたところ、上告人は買わないとのことであったので自分で買受けたものであり、その際上告人に対し被上告人が買受けた場合明渡す意思があるかどうかを確かめなかった。売買代金六〇万円のうち三〇万円は他から借財をして支払ったものであるが、被上告人としては、その経済状態から相当のぎせいを払って買取ったものである。

(四)  被上告人は昭和三六年五月一二日上告人に対して賃貸借契約の解約を申入れ新津簡易裁判所に対し本件建物の一部につき明渡請求の訴訟(昭和三六年(ハ)第六三号)を提起したが、正当事由不存在の理由で敗訴の判決言渡を受けたので、新潟地方裁判所へ控訴を申立て、昭和三九年一二月一五日同裁判所の調停期日に本件建物のうち物置(奥行三間、巾一間半)の一部(奥行二間、巾一間半)を月末までに被上告人に明渡す、被上告人は物置を使用するために上告人方の土間を通ってはならず、その余の部分は従前通り上告人に賃貸する、被上告人は上告人に対し金一万円を支払うことを骨子とする調停が成立し、被上告人は右物置を住居に改造し二階を作り階下は四畳半二室と約半畳分の板敷であるが洗濯機、冷蔵庫、ガス台、流し台、ステレオ、テレビ、整理箪笥が置かれて、事実上使用できる範囲はせいぜい一坪半位であること、二階は三畳と四畳半の二室であるが四畳半の方は階下に通ずる巾約〇・七メートルの階段と〇・五畳程度の押入があり寝具、ミシン、机、箪笥が置かれ、使用できる範囲は階下同様大した面積ではない。

(五)  被上告人は昭和四三年一一月一七日本間長作よりの明渡要求により前記のごとき事情もあって明渡すこととし、近所に適当な店舗がないため、同家より約一〇〇メートル離れた本町三丁目林政春方に昭和四四年四月二七日店舗を移転したが、ここは大通りから約五三メートルも小路を奥に入った大きな倉庫の一部で小路の入口に被上告人の商店名を記した大きな標柱と指標があるが入口が貸車庫になっていることもあって見付け出すに容易ではなく、その上入口の貸車庫は午後六時過以後、また日曜日は朝から車庫一杯に車が入り到底仕事をすることができないので収入も昭和四三年度は一ヶ年合計二六一万四四六〇円あったものが昭和四四年四月同所に移転後の各月の収入は前年の同期に比し半額以下又は三分の一以下と大巾に減少し生活が苦しくなったので妻フミエは昭和四四年一〇月一日から半日づつ新津市田家の田村電球製作所に勤め日給二五〇円の給与を得ていたがその後亀田町の妹のもとへ手伝いに行き生活を支えている。

(六)  その上被上告人は活動性胃潰瘍で昭和四四年一〇月四日以来医療を受け加療中であり、その病状は昭和四六年一月頃から更に悪化し現在は薬を飲みながら自宅療養中である。

(七)  被上告人は買受けの際手順を誤まったとはいえ、本件建物を買受けて既に一〇年の歳月を経過し、当時幼少であった二人の娘も一六才と一三才に成長し、狭い住宅にいつまでもこのままにおいてよいものかどうか疑問であり、更に被上告人方より表通りに出るには隣家の情によって下水溝の上に長さ一ないし二メートルの板を並べた上を約二五メートルの間曲りくねって通り更に小路を幾曲りもして約一〇七メートルを歩いて出るのであってこれ以外に道はなく、殊に下水溝の上の歩行は危険極まりなく、積雪時の歩行の困難さが思いやられる。

(八)  被上告人は(四)記載の調停・訴訟当時は上告人に対し代替家屋の提供を申入れたことはあったが上告人側より拒否され、更に昭和四四年四月本訴前の明渡調停の際も代替家屋や移転料の提供を考えていたが、上告人側には明渡の意思が全くないばかりか話合に応ずる気配もみせず不調となったため被上告人としては右のような提供をする気持を失い本訴に至った。

(九)  現在店舗として使用中の倉庫は、その所有者林政春が敷地と共に新津電報電話局と売買交渉中であり、右倉庫は使用貸借であるため契約が成立すれば貸主に返還しなければならない。その後昭和四六年一月二〇日林政春と日本電信電話公社との間で林方倉庫の敷地について売買が成立し、林方では同年五月一五日までに右倉庫を取毀し敷地の明渡をする約束であるため、被上告人は遅くとも三月には右倉庫を林方に明渡さなければならなくなった。

二、上告人側の事情

(一)  本件建物は、昭和七年頃訴外村木定吉が新築したものであるが、その完工時の頃同工事を担当した大工の斡旋によって上告人の亡夫長一が昭和七年一二月一日賃料一ヶ月一二円期限五年と定めて賃借し、爾来長一は同建物で履物の製造販売を営んで来たが、長一が昭和二七年四月に死亡後は上告人が二女広子と共に履物の販売のみを営み、広子が昭和四一年三月結婚して家を出てからは三女桜子名義で同営業を行ない、桜子が昭和四四年五月結婚して家を出てからも桜子名義で広子、桜子両名の協力を得て更に彪が昭和四五年三月二五日結婚して妻慶子を迎えてからは広子の協力で同営業を行なっている。

(二)  本件建物の賃借当時の造作は外廻りの戸障子だけであって、亡夫長一が自己の費用で畳、建具、電灯、水道、瓦斯の施設を入れ、また縁側、階下三畳間、湯殿、流し場などの工事をなし、更に昭和三七、八年頃湯殿の南側にあった便所を六畳間の南、縁側の東端に移したり、物置と台所の境にガラス戸を入れたり、土間に床板を張ったりした。

(三)  本件建物の使用状況は階下に店舗、六畳間、三畳間、食事室、台所、湯殿、土間、縁側、便所、二階に八畳間があり、店舗は履物類の商品を陳列し、二階は三男彪夫婦が使用し、階下は上告人が使用しているが、上告人は二六年前頃より脳溢血後遺症のため最近ようやく家の中を歩行できる程度になったけれども外出などは思いもよらず、そのため彪の結婚するまでは広子と桜子がいずれも婚家から日曜日以外の毎日上告人方に通勤し店の手伝いや上告人の身のまわりの世話をしていたが彪の結婚後は広子が慶子に仕事を教えるために上告人方に通っている。

(四)  彪は新潟市の佐藤水産株式会社に勤め、本俸約四万円、手取毎月三万余円、毎月の生活費にまわせる額は二万円位である。

一方営業収益は昭和四二年分は一七万二五七九円、昭和四三年分は一五万六四六七円であって、広子、桜子の通っていたときは毎月広子に五〇〇〇円位桜子に一万円位を支出していたのであるが、現在は慶子が履物販売業の仕事に慣れ、起居の不自由な上告人の世話をしながら右営業に従事し、昭和四五年度以降の営業利益は一ヶ月約二万円くらいとなり、また彪の給料も現在は一ヶ月約四万五〇〇〇円に増額された。」

以上のとおりである。

以上の事実よりすれば、被上告人は、本件建物を上告人が賃借し、同建物で生業を営んでいることを当初より承知しながら、その明渡の意思の有無を確かめることもせずに買受けたものであり、しかもその後の昭和三九年一二月の訴訟中の調停によってその一部の明渡を受けているのであるから、被上告人が現在いかに訴外本間および同林から居宅ならびに店舗の明渡を求められているからといって、上告人に対しさらに本件建物の残り全部の明渡を要求することは、上告人において他に移転先のあてのない以上、極めて正当性の乏しいものと解するのが相当であって、当事者双方の事情は、少なくとも、客観的にみて現状に近いものとして上告人が甘受すべきものと考えられる代替家屋を被上告人において提供するか、またはこれに代りうる金員の提供をすることによってようやく正当性の有無が問題とされ得る程度のものに止まるというべきである。

しかるに本件において、被上告人は上告人が明渡を拒否する態度を示しているという理由のもとに、なんら移転先をあっせんする努力を示さず、移転料の提供の意思もなく、ただ一方的な明渡の要求を重ねて固執するものであって、原判決のいうように、「双方の本件建物に対する必要性を比較すれば、被上告人の側に若干の優位を認め」ることによって、本件解約の申入れが借家法一条ノ二にいう「正当事由」を具備したものとすることは相当でない。

よって原判決はこの点において同法同条の正当事由の解釈を誤まったものというべく、この点に関する上告人の論旨は理由があるので、原判決ならびに第一審判決を取消し、被上告人の請求を棄却することとし、民訴法四〇八条一号、九六条、八九条を各適用のうえ主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中西彦二郎 裁判官 松永信和 小木曾競)

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